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日本の建築(主要な建築家一覧)

・日本建築の歴史と日本の建築家

 

○ 原始建築

・ 縄文・弥生・古墳時代

縄文時代の三内丸山遺跡、弥生時代の吉野ヶ里遺跡などが有名。竪穴住居、平地住居、高床式倉庫など大規模で高度な建築技術を持っていたことが伺えます。

・ 高床式倉庫

ネズミなどの害を防ぎ、風通しをよくするために床が高く造られた食糧倉庫として、日本では縄文中期から弥生時代の遺跡から建築部材が出土しています。
神社建築様式の1つである神明造は、この高床式倉庫から発展したとされています。


 

○ 古代建築

・ 飛鳥・白鳳・奈良時代

朝鮮半島や中国から建築技術を取り入れ、日本でも寺院建築が建てられるようになり、現存するものとしては、法隆寺の西院伽藍、法起寺三重塔が最古のものとして残っています。

また起源は弥生時代の高床式倉庫から発展したといわれる神社建築様式の、大社造、神明造、住吉造、八幡造が古代よりこの時代から存在したと言われ、現在にその形が受け継がれています。

代表的な建築物は、飛鳥様式-法隆寺・法起寺・法輪寺、白鳳様式-薬師寺東塔、奈良時代-東大寺法華堂・正倉院正倉・唐招提寺金堂・法隆寺夢殿、大社造-出雲大社、神明造-伊勢神宮、住吉造-住吉神社、八幡造-宇佐神宮などがあげられます。

・ 神社建築

礼拝用の建物である拝殿と、神霊を宿した神体を安置する本殿にて構成されています。
本殿の起源は、高床式倉庫から発展したとされています。また過去の技法と様式を復古的に採用し再建されているので、古代からの形を遺しているものと言われています。
伊勢神宮、出雲大社、宇佐神宮などの神明造、大社造、八幡造などの様式があります。
また現在に至るまでに、神仏習合による仏教建築の影響を受け、多様な様式が誕生しています。


○ 平安時代

建築様式が日本独自の形態として発展する時代です。仏教伝来とともに輸入された中国建築を日本化したもので和様と呼ばれます。
数々の密教が伝わり密教建築が広がり、浄土教建築として平等院鳳凰堂や中尊寺金堂が有名です。また平安後期の代表的な寺社建築に厳島神社があげられます。他には室生寺五重塔、醍醐寺五重塔も平安時代の代表的な建築です。
住宅としては、平城京から平安京へ遷都が行われ、大規模な邸宅、貴族たちの住居、寝殿造が生まれ、その原型を京都御所、紫宸殿・清涼殿に見ることができます。

・ 和様建築

鎌倉時代に中国から伝わった建築様式(大仏様、禅宗様)に対して、それまでに日本で寺院建築に用いられてきた様式のことです。
平安時代の国風文化の時代に日本人好みに洗練され、柱は細く、天井を低く、床を張り、縁側を造るなどが特徴です。
平等院鳳凰堂、室生寺五重塔、当麻寺本堂、金剛峯寺不動堂、延暦寺根本中堂などが和様建築の代表的寺院建築です。

・ 寝殿造

寝殿(正殿)と呼ばれる中心的な建物と、対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物、それらをつなぐ渡殿、それらによって囲まれた庭園を有する平安時代の貴族住宅の様式です。
現存する建築遺構はありませんが、平安時代後期の様式を用いて建てられた京都御所や、室町時代の御所の建物を移築した京都の大覚寺(嵯峨御所)、仁和寺にその面影が見られます。


○ 中世建築

・ 鎌倉時代

大陸との交易が活発になり、再び中国から建築様式が入ってきます。
東大寺の再建に用いられた大仏様(天竺様)と呼ばれる、合理的な構造・豪放な意匠が先ずあげられます。
また大陸から禅宗様と呼ばれる、禅宗寺院の建築様式が伝わり、禅宗寺院の仏堂に多く用いられます。代表的なものは国宝指定の円覚寺舎利殿、正福時地蔵堂があげられます。
この時代の和様の建築物として、京都三十三間堂や滋賀県の石山寺多宝塔が有名です。
住居としては、武家の間で寝殿造を簡素化した住宅、武家造が使われるようになります。

・ 大仏様(天竺様)

平安時代末期以後、焼失した東大寺大仏殿の再建を指揮した重源によって採用された、中国の建築様式です。
その建築様式は合理的な構造、豪放な意匠で大仏殿にはふさわしいものでありましたが、日本人の好む穏やかな空間とは相容れない面があり、重源が没すると大仏様を用いる事が少なくなっていきました。
東大寺南大門、開山堂、法華堂礼堂や、浄土寺浄土堂、醍醐寺経蔵などの寺院建築が代表作です。

・ 禅宗様

平安時代後期以後、中国(宋)との交易が活発になったことで、禅僧の往来により中国の寺院建築様式が伝えられました。
全体に木割(きわり)が細く、小さな斗(ます)や肘木( ひじき)を整然と積み上げ、一重ながら周囲に幅の狭い裳階(もこし)をめぐらして、全体 的に背丈の高い外観を作り出していることが特徴です。
円覚寺舎利殿、正福寺地蔵堂、功山寺仏殿、善福院釈迦堂などの寺院建築が代表作です。

・ 室町時代

木材の加工技術が進歩して、江戸時代へと受け継がれる、武士の住居としての書院造が現れます。また禅宗の影響を受けて、規模の大きな庭園建築が造られました。
この時代を代表する建築物として、足利義満の別荘として建てられた鹿苑寺舎利殿(金閣寺)、慈照寺観音堂(銀閣寺)が有名です。

・ 書院造

室町時代中期以降に成立した住宅の様式です。その後現在までの和風住宅は、広い意味で書院造の強い影響を受けています。
特徴として床の間や違い棚、附書院という座敷飾りを備えたものであることや、襖や障子などの間仕切りの発達により屋内が用途に合わせて細分化されていること、畳が敷き詰められていることなどがあります。
代表的な建築として、慈照寺(銀閣寺)の東求堂が現存する最古のものとされています。ほか西本願寺白書院や二条城二の丸書院が挙げられます。


○ 近世建築

・ 安土桃山時代

近世城郭建築が確立し、室町時代からの書院造、茶室の完成を迎える時代です。
近代城郭最初の天守といわれる安土城はじめ、安土桃山時代末期には姫路城、大阪城などで近世城郭建築の頂点を極めています。そして身分の序列を著し権力者の威厳を示すため、書院造が完成し、これらの城郭建築内部にも取り入れられています。

また室町時代に始まった茶の湯は、千利休によって大成され、茶室というジャンルが生まれ、利休死後も古田織部、小堀遠州といった大名茶人によって多様な展開を見せています。

・ 城郭建築

天守を備えた「城」が安土桃山時代に絶頂期を迎えます。
石垣、天守や櫓などの建築様式は、室町末期以降、特に松永久秀の多聞山城や信貴山城や、織田信長の安土城を築城した時代に発生しました。
その後、豊臣秀吉により大坂城や伏見城などが築かれ、天守に石垣、枡形や馬出しを備えた城門といった、現在の一般的イメージの「城」が完成し、日本の城郭建築は栄華を極めました。
松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城などが現存しています。

・ 茶室

茶を出してもてなすために造られる、最小の空間の中に豊かな広がりを持つ日本独特の建築物です。日本庭園の中に造り、露地が設けられ、茶室に入るまでの空間も大きな意味を持っています。
豊臣秀吉の時代、千利休により、侘び茶の精神を突き詰めた、独自の小間の茶室の様式が完成します。
利休の死後は、古田織部、小堀遠州、織田有楽斎、金森宗和ら大名茶人により、多様な空間を生み出しています。
伝千利休作・国宝-待庵(京都府)、旧・建仁寺正伝院茶室織田有楽斎好み・国宝-如庵(愛知県)、
伝小堀遠州好・国宝-密庵(京都市)などがこの時代の代表的な茶室です。

・ 江戸時代

茶室を住宅に取り入れた数寄屋造りや、都市の娯楽施設である劇場建築・遊廓の建築など、庶民文化を反映し、世俗化した建築が多数見られます。
庶民信仰を背景に、善光寺・浅草寺など大多数の信者を収容する大規模な本堂を持つ寺院建築が現れ、民家も一部は書院造の要素も取り入れ発展しました。
数寄屋造の桂離宮新書院や修学院離宮、壮麗な霊廟建築の日光東照宮、大規模寺院建築の東大寺二月堂、書院造や日本庭園の傑作を有する桂離宮などがあります。

・ 数寄屋造り

茶室(数寄屋)の持つ、好み(数寄)や趣向に合わせて自由に建築する建築様式のひとつです。
江戸時代以降は茶室風を取り入れた住宅が発展し、現代では、料亭や住宅でも数奇屋建築にならったものが造られています。
格式・様式が、極力、取り入れないようにされており、床の間は小規模になり、長押がないことが多く、シンプルながらも洗練された意匠となっています。
桂離宮書院、修学院離宮、伏見稲荷大社の御茶屋などが代表的建築となっています。


○ 近代建築

明治初期、日本政府は近代化に必要な都市を築くため、西洋建築の技術を得るためにジョサイア・コンドルなどのお雇い外国人を招聘します。
コンドルなどが教鞭をとる工部大学校造家学科(後の東京帝大建築学科)から「日本建築界の父」と呼ばれる建築家、辰野金吾が卒業し、日本における西洋建築を多数設計しました。

その後、ドイツで学び官庁建築に強い影響力をもった妻木頼黄・渡辺譲・河合浩蔵の建築家により、日本において近代化=西洋化を目指していた建築は絶頂期を迎えます。

1920年に日本初の建築デザイン運動として、東京帝国大学建築学科出身者による分離派建築会が創設されています。
昭和初期から戦前期は、渡辺仁設計の東京国立博物館本館などの、モダニズム建築に対抗して日本で発生した建築様式、帝冠様式の建築があらわれています。

・ 分離派建築会

1920年、東京帝国大学(現東京大学)の卒業生らが始めた日本初の近代建築運動です。
石本喜久治、滝沢真弓、堀口捨己、森田慶一、山田守、矢田茂の6人により設立され、建築の芸術性を主張し、展覧会開催や出版物を刊行しました。

・帝冠様式

昭和初期のナショナリズムを背景として日本で流行した、鉄筋コンクリート造の現代建築に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の建築様式です。
渡辺仁による現・東京国立博物館、愛知県庁舎、平林金吾による名古屋市役所本庁舎などが代表的建築です。



○ 現代建築

第二次世界大戦後、戦後復興と高度経済成長の中で、鉄筋コンクリートの使用が一般的になり、各地にモダニズムの公共施設が建設されました。
耐震構造技術も進歩し、超高層建築が建てられるようになり、丹下健三、槇文彦、安藤忠雄など、世界的に活躍する建築家が多数登場しています。

・ モダニズム建築

明治時代末から大正時代に、西洋から鉄筋コンクリート造という新しい技術が伝えられ、遠藤於莵、本野精吾らによって、装飾の少ないモダニズム建築の先駆的な作品が造られます。
しかし当時の建築に対する芸術観は、装飾のない建築は主流とはなりませんでした。
第二次世界大戦後は、煉瓦や石を積み上げて造る西洋の建築と、柱と梁で構成される日本の伝統的建築とを対比し、後者がモダニズムの理念と適合しているという、日本の数寄屋造とモダニズムの近親性が論じられました。
日本においては、モダニズム建築の理念が第二次世界大戦による中断を含みながらも急速に普及し、過去の歴史様式をまとった建築は否定されるようになります。この背景には、戦争の激化とともに物資が乏しくなったため、また戦後になると戦災から一刻も早く立ち直るため、とにかく時間をかけず廉価に建設することが社会的な要請として最優先され、職人が腕を振るって装飾を付けるようなことは無意味であり無駄だと考えられたこと、また海外及び日本の建築雑誌に紹介されるのはモダニズム建築ばかりであったことなどが理由として挙げられます。
前川國男、丹下健三、村野藤吾などが、戦後のモダニズムの代表的建築家です。

・ ミニマリズム

1960年代のアメリカで登場した、最小限)主義から誕生し、必要最小限を目指す手法・創作理論です。
無駄を排し、表現における贅肉をそぎ落とし、極限的な美を追求するミニマリズム建築は1990年代後半からムーブメントが始まっていますが、その様式は多様でミニマリストひとりひとりの違った解釈が存在しています。
安藤忠雄、妹島和世+西沢立衛(SANAA)などが、ミニマリズム建築を設計しています。

・ ポストモダン建築

1980年代、機能的・合理性を追求し過ぎ、都市や建築が味気無くなってしまったモダニズム建築において、その批判から、かつては否定された装飾や象徴性の回復などが唱えられた建築様式です。

1990年代のミニマリズムの台頭により、また過剰性・奇異性、景気の後退による建設費の削減により、できるだけ素材の質を活かした簡素なデザインが増えることとなりました。
磯崎新、竹山実、隈研吾、菊竹清訓、原広司などの建築家が、ポストモダン的な建築を設計しています。

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