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フルクサス(Fluxus)

・フルクサス(Fluxus)

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アメリカ人のデザイナーで建築家であったジョージ・マチューナスにより、
前衛芸術家を組織したグループです。
「浄化、連続運動、流れる水、変化する、下剤をかける・・・」などの意味を
持ち、1960年代の代表的な芸術運動として世界に波及しました。

フルクサスの基準として、グローバリズム、アートと生活の統一、インターメデ
ィア、実験主義、偶然性、遊戯性、単純、特殊性、音楽性などが挙げられます。
その芸術の特徴としては、多国籍の集団、グループの境界が曖昧、美術・音楽
詩・舞踏など多様なジャンルにまたがる、パフォーマンスに重点が置かれゲー
ム性、ジョーク、ユーモアを好んだ、シンプルかつ客観的、まとまった主義主
張をグループとしては持たないなどがありました。

1961年にジョージ・マチューナスがニューヨークのA/Gギャラリーで行った公演
を機に「フルクサス」の名前が定着します。
1962年から1963年には西ドイツを皮切りに「コンサート」と呼ばれた上演会が
ヨーロッパ各国を巡回し、運動の広がりは国際的となります。

しかし1963年に中心人物であったジョージ・マチューナスが発表した過激なマニ
フェストが他のメンバーに支持されず、1972年の「フルクサス・ショー」以降、
その活動は歴史化されていき、1978年のジョージ・マチューナスの死によって
終焉を迎えることとなりますが、1970年代以降のコンセプチュアル・アートやパ
フォーマンスに極めて大きな影響を与えました。

ヨーゼフ・ボイス、ナム・ジュン・パイク、オノ・ヨーコらが参加し、フルクサス
と関わりを持った音楽家にジョン・ケージ、映像作家にジョナス・メカスらが
います。
日本からの参加者は靉嘔、小杉武久、塩見允枝子、一柳彗、高松次郎、
赤瀬川原平、中西夏之、ワダマサヨシらが参加・同調しています。

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フルクサス関連の書籍、作品集は買取重点商品です。

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ジョージ・マチューナス
George Maciunas(1931年11月8日-1978年5月9日)

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1931年、リトアニアのカウナスで生まれます。
1948年、アメリカ、ニューヨークに移住。
1952年からニューヨークの大学で美術、グラフィック・アート、建築を学びます。
1961年にニューヨークのA/Gギャラリーで行った公演を機に「フルクサス」の名
前が定着します。
1962年から1963年には西ドイツを皮切りに「コンサート」と呼ばれた上演会を
ヨーロッパ各国にて展開、フルクサス運動の広がりは国際的となります。
1963年、マニフェストを書き上げ、フルクサスを共同体としてまとめようとする
も、その過激な内容に誰もサインする事はありませんでした。
その後フルクサス名簿の作成、新聞の作成、フルクサスメンバーの作品を「フ
ルックス・キット」などでの販売などを展開し、フルクサスをグループに発展さ
せ議長となります。
1978年死去、やがてマチューナスを中心としたフルクサス運動は終演を迎え
ることとなります。

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ナム・ジュン・パイク
Nam June Paik(1932年7月20日-2006年1月29日)

1932年、ソウルで生まれます。
1949年、朝鮮戦争のため一家で香港へ、そのご日本へ。東京大学文学部
美学・美術史学科を卒業後、ミュンヘン大学に学びます。
1961年、ジョージ・マチューナスと知り合い、フルクサスに参加。ヨーゼフ・ボ
イスと交流を深めました。
1963年、ドイツのパルナス画廊で開いた個展で、世界初のビデオ・インスタ
レーションを発表します。
1964年、アメリカに移住し、その後のパフォーマンスを共作することになる
チェリスト、シャーロット・モーマンと出会います。
1965年、ニューヨークでの初の個展を開催し、携帯用ビデオ・カメラを使い
始めました。
1977年、ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚し、ハンブルク美術大学で
教鞭をとるためにドイツへ。その後ドイツ、東京、ニューヨーク、パリなどで
個展を多数開催します。
現代的なテクノロジーを活用した画像処理や映像展開の中に東洋的な自
然観や禅の思想を取り込んだ、ビデオアートのパイオニアとして国際的に
活躍しました。

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ヨーゼフ・ボイス
Joseph Beuys(1921年5月12日-1986年1月23日)

1921年、ドイツ北西部の町、クレーフェルトに生まれます。
第二次世界大戦時にはドイツ空軍に入隊し東部戦線で戦い負傷、戦争末期
には西部戦線にて戦闘に参加しますが、イギリス軍の捕虜となります。
1960年代にフルクサスに参加、多くのオブジェを制作しパフォーマンスを演じ
るようになります。
1970年代には、教授を務める芸術アカデミーにおいて、入学できる学生数の
制限に反対し、自分自身で「創造性と学際的研究のための自由国際大学」を
設立するなど思想家、活動家色が強まっていきました。
脂肪やフェルト、野うさぎの死骸を使った作品や、展覧会会場で観客と民主
主義について議論を交わしたり、創造性によって社会を形成するという「社
会彫刻」概念を生み出すなど、インパクトを与える表現と思想をもって芸術の
新たな可能性を広げ、多くの人々に影響を与えたアーティストです。

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オノ・ヨーコ(小野洋子)
Yoko Ono Lennon(1933年2月18日-)

1959年、ニューヨークにて、フルクサスの活動に参加し、コンセプチュアル・
アートを制作します。
1962年日本に帰国し、東京の前衛芸術家として活躍し、パフォーマンスア
ートや、言葉によるコンセプチュアル・アート作品を発表。
1965年、ロンドンに移り活躍し、個展にて知り合ったジョン・レノンと1969年
に結婚します。
ニューヨーク、ロンドン、東京のコンセプチャル・アート、コンサート、実験映画、
パブリック・アート、またジョン・レノンとの共同作業作品やジョン・ケージ、
ナム・ジュン・パイクなどのアーティストとコラボレーションも行っています。

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ジョン・ケージ
John Milton Cage Jr.(1912年9月5日-1992年8月12日)

1912年、ロサンゼルスに生まれます。
1931年、ピアニストのリチャード・ビューリックに音楽を学び、1934年から南カ
リフォルニア大学のアルノルト・シェーンベルクに学びます。
その後、ニューヨークに出て画家たちと交流を持ち、禅を学び東洋思想への
関心を深め、中国の易を用いた作曲過程に偶然性が関わったり、演奏や過
程に偶然性が関与する不確定性の音楽を創造していくようになります。
1950年代後半から、代表作「4分33秒」や、問題作「0分00秒」を発表し、フル
クサスとの交流がありました。
旧来の音楽のあり方を否定する「偶然性の音楽」や「無音の音楽」などを発表
し、現代音楽界に新しい音楽の姿を提唱した前衛音楽作曲家と言われています。

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ジョナス・メカス
Jonas Mekas(1922年12月23日-)

1922年、リトアニアにて生まれます。
1949年、ニューヨーク、ブルックリンへ移住。1950年代、様々な仕事をしながら
当時生活していたウィリアムズバーグやリトアニア系移民を撮り始めます。
1954年「フィルム・カルチャー」誌を発行。
1960年代からアレン・ギンズバーグ、オノ・ヨーコ、ジョン・レノン、サルバドー
ル・ダリらと交流。同じリトアニア人のジョージ・マチューナスとは深い交流が
ありました。
物語映画やドキュメンタリーで高い評価受け、現在も精力的に活動する映像
作家です。フルクサス周辺の映画監督として有名です。

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ジョージ・ブレクト
George Brecht(1926年8月27日-2008年12月5日)

1926年、ニューヨークに生まれます。
初期フルクサスから参加する前衛作曲家、コンセプチュアル・アーティスト
です。
代表的なインストラクション集「ウォーター・ヤム」やフルート・ソロ、ヴァイオ
リン・ソロなどの作品が有名です。

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ラ・モンテ・ヤング
La Monte Young(1935年10月14日-)

1935年、アイダホ州に生まれます。
カリフォルニア大学ロスアンゼルス校、カリフォルニア大学バークレー校にて
音楽を学びます。その後インド古典音楽、インドネシアのガムラン音楽、グレ
ゴリオ聖歌や他のさまざまな異文化
の音楽に影響を受けます。
1960年、フルクサス運動に参加。著名な作品群「コンポジションズ 1960」を発
表します。戦後の前衛音楽の重要な作曲家であり、フルクサスに影響された
作品とミニマル音楽作品を創造しています。

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アラン・カプロー
Allan Kaprow(1927年8月23日-2006年4月5日)

1927年、ニュージャージー州に生まれます。
コロンビア大学で美術史を学び、その後ジョン・ケージのもとで作曲を学び
ました。
1959年にニューヨークの画廊で行った展覧会で、ハプニングという表現方法
のパフォーマンスを行います。
1960年代にかけて、パフォーマンスやゲリラ的作品展示「ハプニング」を仕掛
けて、フルクサスなど後に続くパフォーマンスアートの芸術運動に大きな影響
を与え、環境芸術やインスタレーションの先駆者とも言われています。

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アル・ハンセン
Al Hansen(1927年10月5日-1995年6月22日)

1927年、ニューヨークに生まれます。
初期のフルクサスに参加し、オノ・ヨーコやジョン・ケージと交流を持ち、ナ
ム・ジュン・パイクらと共作をし、ハプニングという表現方法のパフォーマン
スやコラージュ作品を多数創造しています。
現在最も創造的なオルタナティヴ・ミュージック・アーティストのひとり、ベック
・ハンセンは彼の孫であり、アル・ハンセンの死後の1998年にBeckベックと
のコラボレーション・ブックが発行されています。

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靉嘔
(1931年5月19日-)

1931年、茨城県行方市に生まれます。
1954年、東京教育大学芸術科を卒業。
1963年、フルクサスに参加。ジョージ・マチューナスやナム・ジュン・パイク
と親密な関係を
築き国際的に活躍しました。
虹色で構成した版画・絵を制作。オブジェやイベント・アートなどの芸術活
動も創造しています。

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高松次郎
(1936年2月20日-1998年6月25日)

1936年、東京都に生まれます。
1954年、東京藝術大学絵画科にび、小磯良平に師事します。
1963年には中西夏之、赤瀬川原平とともに前衛芸術集団ハイレッド・セン
ターを結成し、様々なイベントや行動を起こしました。
抽象的で反芸術的な色合いの濃い、インスタレーション、絵画、彫刻、壁画
写真、映像作品など様々なスタイルの作品を創造し、1960年代以降のコン
セプチュアル・アートに多大なる影響を与えました

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赤瀬川原平
(1937年3月27日)

1937年、横浜にて生まれます。
1960年、篠原有司男、荒川修作らと共に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザ
ー」を結成。
1963年には、高松次郎、中西夏之とともに前衛芸術集団ハイレッド・センター
を結成し、様々なイベントや行動を起こしました。
その後千円札を模写した作品発表して実刑判決を受けたり、新聞紙で梱包
した首を振るだけの扇風機とか、カニ缶を使った「宇宙の缶詰」などの作品や
様々な組織の結成など、ユーモアとナンセンスが詰まった創作活動を展開し
ました。また純文学者としても活躍し、1981年、第84回芥川賞を受賞してい
ます。

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中西夏之
(1935年7月14日-)

1935年、東京都・大井町に生まれます。
1958年、東京藝術大学絵画科を卒業します。
1963年には、高松次郎、赤瀬川原平とともに前衛芸術集団ハイレッド・センタ
ーを結成し、様々なイベントや行動を起こしました。
1960年代に瀧口修造や澁澤龍彦、シュルレアリスム系の画家や詩人たちと
交流を深め、舞台美術・装置なども手掛けます。
1960年代後半からは、現実空間と絵画空間との緊張関係をテーマにした思考
性の抽象絵画や絵画インスタレーションを制作している現代日本美術を代表す
る画家のひvとりです。

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一柳慧
(1933年2月4日-)

1933年、神戸市に生まれます。
1954年から1957年までニューヨークのジュリアード音楽院で学びます。
1956年にはオノ・ヨーコと結婚、1959年ニューヨークにてジョン・ケージの講座
に参加し、大きな影響を受けます。
1961年より日本にてジョン・ケージや自己の前衛音楽作品を紹介し、その後
ミニマル・ミュージックに影響を受けた作品を発表します。
1980年代には尾高賞を4度受賞し、現代日本の代表的な作曲家の一人として
活動を続けており、また日本の伝統音楽の発展にも尽力しています。

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塩見允枝子
(1938年-)

1938年、東京都に生まれます。
東京藝術大学楽理科に学び、音楽理論を柴田南雄に、作曲を長谷川良夫
に師事しました。在学中に刀根康尚、水野修孝、小杉武久らと即興演奏集
団「グループ・音楽」を結成します。
1964年、ニューヨークにてフルクサスの活動に参加し、1970年以降は環境
音楽の作曲など、エレクトロニクスを用いた独自の表現で演奏家,作曲家と
して国内外の注目を集めています。
1990年代からは、世界各地でのコンサート活動を行い、数々のサウンド・イ
ンスタレーションを発表しています。

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小杉武久
(1938年3月14日-)

1938年、東京都に生まれます。
東京藝術大学楽理科に学び、在学中に刀根康尚、水野修孝、塩見允枝子
らと即興演奏集団「グループ・音楽」を結成。その後フルクサスに参加し多
数のイベント作品を発表します。
1969年、土屋幸雄、木村道弘、永井清治、長谷川時夫、林勤嗣らと、タージ・
マハル旅行団を結成し、国内外で演奏活動を行います。
1977年、アメリカに移住し、マース・カニングハム舞踏団の音楽監督をジョン
ケージらとともに勤め、しなやかに使いこなしたテクノロジーによる独自の表
現で、世界中の芸術祭、コンサートなどに数多く参加しています。

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