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アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)

・アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)

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Art Brut(Outsider Art)

「アール・ブリュット」には、フランス語で「加工されていない、生の芸術」
という意味があります。
1945年、精神病患者の創作作品を調査していたフランスの芸術家、ジャン・
デュビュッフェにより命名された言葉です。

「アウトサイダー・アート」は、1972年にイギリスの著述家ロジャー・カーディ
ナルによって「アール・ブリュット」の英語表現として創案されました。
ジャン・デュビュッフェによるアール・ブリュット作品収集初期には、精神病院
や監獄などから蒐集していたので、アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)
=知的障害者、精神障害者、精神病患者が描いた作品とされていましたが、
後に精神病患者などに限らず、美術教育を受けず独学で孤独に作品を作り
続けた人、社会から見放された孤独な人、子供など芸術による生計や発表す
ることのない人々が、流行や伝統に捕らわれず、美術制度の枠外で自身の
衝動によって制作されるものを指すようになりました。
また絵画以外に、彫刻・映像・文学・音楽や、建築・インスタレーションなどの
空間作品も制作されています。
1945年からジャン・デュビュッフェによって蒐集を開始した、スイス・ローザン
ヌのアール・ブリュット・コレクションは世界最大のアウトサイダー・アートの所
蔵品を誇り、フランス、ドイツ、アメリカ、日本の美術館でもコレクションされて
います。
日本のアウトサイダー・アートは、芸術家による知的障害者更生施設や盲学
校など、福祉施設への現場に出向いての指導による、社会とのつながりを持
つための手段としての障害者芸術、エイブル・アートが発展し、トヨタなどの
企業が支援をしています。

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アール・ブリュットの関連書籍、作品集・画集は買取重点商品です

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ヘンリー・ダーガー
Henry Darger(1892年4月12日-1973年4月13日)

1892年、シカゴで生まれます。
12歳の頃、感情障害により知的障害児更正施設へ入所、15歳のときに
父が死去。
19歳のときから80歳にいたるまで、誰に知られることもなく孤独に独力
で「非現実の王国で」を制作します。
1972年、病気のために救貧院入院数ヶ月後の1973年に死去しました。
救貧院入院直後、ダーガーが住んでいたアパートの家主であり、芸術家
でもあるネイサン・ラーナーにより300枚の挿絵と15000ページ以上のテ
キストの物語が発見されています。
「非現実の王国で」は、子供奴隷に残虐な拷問を加える邪悪な大人たち
と、血みどろの闘いを続ける7人の少女戦士、ヴィヴィアン・ガールズの姿
を描いています。
ポップアート的な洗練された画風、残虐な拷問や殺戮の風景、少女にペ
ニスを描き加えるなどの挿絵作品を、長い孤独な生活の中で制作。
アウトサイダー・アートを代表するアーティストのひとりとして世界的に高
い人気を得ています。
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アドルフ・ヴェルフリ
Adolf Wölfli(1864-1930)

1864年、スイス、エメンタール州、ボーヴィルに生まれます。
幼少より虐待され、10歳の時に里親へ出されます。
その後、農場労働者として働き、軍に入隊しますが、児童虐待の罪で有罪
判決を受けます。
1895年より1930年の死亡年までスイス・ベルンのワルドー精神病院にて過
ごしました。
入院後、25000ページにおよぶ、膨大なイラスト入り物語を制作し、テキス
トやドローイング、コラージュが混じり合った空想世界を創造しています。
アール・ブリュットの創始者ジャン・デュビュッフェ、シュルレアリスム
の創始者アンドレ・ブルトンの2人が、ともに高い評価を発しています。
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マッジ・ギル
Madge Gill(1882年-1961年)

1882年ロンドンに生まれます。
私生児として生まれ、身内から拒絶され9歳の時に孤児院に収容されます。
後にカナダに移って農場労働者となるもそこで虐待を受け、25歳に結婚し3
人の子供をもうけますが、1人が死亡。婦人科の疾病により死産、それが
原因で片目が失明します。
病気から快復後、以来40年にわたり驚くべき点数のドローイングを描き続
けました。
自らは、「マイニナレスト」という霊によって導かれ描いたと言い、多くの
ドローイングに「マイニナレスト」のサインが施されています。
1961年死去。その後数百点の作品が発見されましたが、今後展示される
予定はないようです。
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フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン
Friedrich Schröder-Sonnenstern(1892年-1982年)

1890年、東プロイセンで生まれます。
幼いころから行動が奇抜で素行が悪く、母は狂死、第一次大戦時に軍隊に
入隊しますが、自ら精神錯乱者と軍医に訴え、精神病院に入院します。
その後退院し、ベルリンにて占星術師になりますが、薬剤法違反などで禁
固刑を受け、精神病院へ強制入院となりました。
その精神病院に入院していた画家の勧めで絵を描くことを始めます。
幻想的でエロティックな、色鉛筆で入念に塗り込められた作品は、アンドレ
・ブルトンや瀧口修造から高い評価を得ており、シュルレアリスムのアーテ
ィストに含まれることがあります。
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アレクサンドル・ロバノフ
Aleksander Lobanov(1924年8月30日-2003年4月21日)

1924年、ソ連のボルガ川沿いの小さな町で生まれます。
6歳のときより耳と口が不自由になり、その後聴覚・言語障害の子どもたち
のための特別寄宿学校へ入学します。
1947年、精神病院に入院。1960年代から絵画を制作。1970年代から写真
に絵を描き込む独自の表現方法で制作を始めます。
長らく注目されることがありませんでしたが、1990年代後半に注目を浴び、
ヨーロッパ各地で展覧会が開かれるようになります。
銃に関する強い愛着が感じられる作品などがあります。
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アロイーズ・コルバス
Aloise Corbaz(1886年6月28日-1964年4月6日)

1886年、スイスのローザンヌに生まれます。
11歳の時に過労が原因で母が死去し、長姉マルグリットが母代わりとなり
ますが、その過干渉のため、その後の人生に大きな影響を受けることとな
ります。
1910年代前半、ポツダムのヴィルヘルム2世の宮廷で働き、その後統合失
調症となり、精神病院に入院し、1964年の死まで過ごすこととなります。
1947年、ジャン・デュビュッフェに見出され、アール・ブリュットの作家
として注目を集めることとなりました。
エロスな象徴と愛の物語に満ち、自らの精神世界を追い求めた、色彩の
美しい絵画を制作しています。
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ハインリヒ・アントン・ミューラー
Heinrich Anton Müller(1869-1930)

19世紀後半、スイス・レマン湖畔のブドウ園で下働きをし、ブドウ品種改良
用の機械を発明、特許を得るも、それが元となるトラブルにより精神を病み、
37歳の時に精神病院に入院します。
病院では自己の引きこもりに終始し、1917年頃から絵画の制作を始めます。
デフォルメされた人物像や、動物や樹木のある作品を数多く制作しました。
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カルロ・ツィネリ
Carlo Zinelli(1916年-1974年)

1916年、イタリアのヴェローナで生まれます。
2歳の時に母と死に別れます。
第二次世界大戦に従軍、前線の過酷な日々により1947年統合失調症で精
神病院に入院しました。
田舎暮らしから戦争や狂気の悲しい体験を、無数の人物像やアルファベット
文字、幾何学的形態、記号を用いた独創的で一貫性のある絵画を制作して
います。1971年には精神病院を退院しており、1974年に死去しています。
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ビル・トレイラー
Bill Traylor(1854年-1949年)

アメリカ、アラバマ州の農場にて黒人奴隷として生まれます。
1865年、奴隷解放宣言により自由の身となりますが、農園に留まります。
1938年、農園を離れ、身体が不自由になりホームレス暮らしとなり、黒人
コミュニティーの繁華街で絵を描き始めました。85歳を過ぎて、人生最後
の3年間に1500枚もの絵を残します。
幾何学的、抽象的な構図の中に複数のイメージがリズミカルに配置された、
簡潔な線と限られた色使いが特徴です。
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ジーン・メリット
Gene Merritt(1936年-)

1936年、アメリカ・サウスカロライナ州で生まれます。
幼い頃、発熱が原因で脳に障害を発し、暴力的な父親のもと生活します。
1948年に母を亡くし、1972年父を亡くすと、社会福祉局のもと養護施設
などで生活。
ドローイング作品は、特定の人物の横顔が丁寧に線描され、キュビスム
のような遠近法が使われています。
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モートン・バートレット
Morton Bartlett(1909年-1992年)

1903年、シカゴに生まれます。
8歳の時に両親と死別。独身のまま83歳で死去します。
彼の死後、15体の人形と約200枚の写真が生前居住していた部屋から
発見されます。15体の人形は12体が少女で、3体が少年でした。
現実の女性との接触を持たなかった彼は隠遁を決め込み、妻子を持たず、
自分だけの安全地帯を作り出し、孤独の中で、創作者、父親、母親、友人、
伴侶をこれらの作品に求めました。
自らの手で服を繕い、人形に着せ撮影。実在の少年少女のスナップショッ
トに仕上げています。
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山下清
(1922年3月10日-1971年7月12日)

広義の日本のアウトサイダー・アーティストに含まれます。
1922年、東京都に生まれます。
幼少の頃、重い消化不良が原因で、後遺症で軽い言語障害、知的障害
が残ります。
その後、知的障害児施設「八幡学園」へ預けられ、ここでの生活で
「ちぎり紙細工」に出会いました。
制作に没頭する中で才能が磨かれ、1939年の展覧会で多くの人々から
評価を得ます。18歳の時に兵役検査を受けたくなかったため放浪の旅に。
旅先で記憶した風景を、八幡学園や実家に帰ってから記憶を基に描く、
驚異的な映像記憶力の持ち主で、サヴァン症候群であった可能性が高
いといわれています。
戦後は全国巡回展により高い評価を得て、ヨーロッパを巡り多数の作
品を残しています。
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ヨハン・ハウザー
Johann Hauser(1926年-)

1926年、現在スロヴァキアの首都、ブラティスラヴァで生まれます。
第二次世界大戦時は難民キャンプで暮らし、戦後ウィーンのマリー・
グギング精神病院に入院します。
激しい躁鬱病のため、躁と鬱状態で描く画風の違いが顕著であり、
躁状態の時は派手な色彩や彼の好きな物体を描き、鬱状態の時は
記号的な小さな絵を描きました。
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ジョゼフ・ヴィトリッヒ
Josef Wittlich(1903年-1982年)

1903年、ドイツのグラドバッハに生まれます。
幼少時に母を失い、暴力的な父親のもと生活します。
その後父親の再婚により、義理の母親に邪険に扱われました。
第二次世界大戦では兵役に就きますが、負傷しロシア軍の捕虜となり
ます。
戦後、陶器工場で働き、死去する1982年まで、孤独の中で絵画を制作
しました。
ローマ教皇や王族、モデルなど、身の回りの現実でなく、単純で明快な
イメージのフォルムを単純化、独特の色彩で表現しています。
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ウィリアム・ホーキンス
William Hawkins(1895年-1990年)

1895年、アメリカ・ケンタッキー州に生まれます。
幼少時に母を亡くし、祖母の農場で育てられます。
21歳のときに都会での生活をするも、貧困や差別、犯罪に直面。
1930年代頃から独学で、建材用の合板やペンキを用いて、自由の女神や
キングコングなど、ポピュラーなイメージを描きました。
まったくの独学でアートに挑んだその姿は、アメリカが生んだ真のポップ・
アーティストとも言えます。
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ロウル・ピジョン
Laure Pigeon(1882年-1965年)

1882年、フランス、ブルーターニュ地方で生まれます。
29歳のときに歯科医と結婚。夫は仕事も女性関係もだらしがない男でした
のでまもなく別居状態に。
その後、長期滞在者用の宿泊施設で交霊術に出会います。
死去までの約30年間にわたり、交霊術による青インクを用いた線影画を
500点あまりを制作します。
生存中は作品を誰にも見せず、死後に作品が発見されました。
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マルティン・ラミレス
Martin Ramirez(1885年-1960年)

1885年、メキシコ・ハリスコ州の貧しい家に生まれます。
10代後半で仕事を求めてカリフォルニアへ。仕事を得ますが、きつい労働、
文化的ショックにより会話能力を失い、精神病院へ入院しました。
病院では会話能力を回復することはなく、絵を描くことに熱中。
1954年、精神病院で授業を行っていた異常心理学のタルモ・パスト博士に
出会い、博士による病院との交渉で、絵画を描く環境が整います。
作品にはキュビスムやシュルレアリスムを連想させる20世紀的表現が随
所に見られます。
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サヴァ・セクリッチ
Sava Sekulic(1902年-1989年)

1902年、クロアチアの山村でセルビア人家族のもとに生まれます。
10歳のときに父を亡くします。
1916年、第一次世界大戦に従軍、右目を失明。
その後、職を転々とし、流浪の生活を送りながら独学で読み書きを覚え、
1930年頃から詩を書き、絵を描き始めます。
1962年、残りの人生を詩作と絵画制作に捧げる決意をし、1989年の死去
まで制作を続けます。1969年にはベオグラードで個展を開催しています。
人間や動物が溶け合い、明るい色彩の中に、伝説のや神話のキャラクタ
ーが、素朴派を思わせる技法で描かれています。
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エドモン・モンシェル
Edmund Monsiel(1897年-1962年)

1897年、ポーランドで生まれます。
後にルブリン地方の村で雑貨店を経営。周囲の人々から陰気で人付き合
いの悪い、狂信的な男だと思われていました。
1942年、ドイツ軍に店を奪われ、同じ町に住んでいた弟の家の屋根裏で生
活。戦争が終結してもそこから出ることなく、人との接触を拒みました。
1962年、風邪により死亡。死亡後、所持品の中から500点におよぶドロー
イングが発見されました。
その絵は、大小のおびただしい数の顔がびっしりと隙間なく敷きつめられ
たもので、中には3000もの顔が描かれている迷宮的な作品があります。
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アナ・ゼマンコーヴァ
Anna Zemankova(1908年-1986年)

1908年、チェコのオルモウツに生まれます。
1933年に結婚、専業主婦となり3人の子供を育てます。
50歳になろうとしたころ、精神的に不安定となり、彫刻家の息子の勧めで
で絵を描き始めます。
それから約30年にわたり、毎朝夜明け前の半覚醒の恍惚状態の中で絵画
を制作しました。
中央ヨーロッパのデザインに見られる植物装飾文様の影響を受けた曲
線と、柔らかい色調のパステルで彩られた独特なデザインが特徴です。
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ブルックス・ヨーマンス
Brooks Yeomans(1957年-)

1957年、アメリカ・ノースカロライナ州に心霊術師のひとり息子として、
軽度の知的障害を持ち、生まれます。
1991年母親が亡くなり障害者施設に入所、そこで才能を認められ、芸術的
才能に恵まれた成人精神障害者のためのアトリエとギャラリーを併設した
施設「シグネチャー」に受け入れられることになります。
自分自身の人生に起きた様々な出来事を元に、細部までこだわったパノ
ラマ的展望の絵画を制作しています。
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オスヴァルド・チルトナー
Oswald Tschirtner(1920年-)

1920年、ウィーン近郊に生まれます。
第二次世界大戦にてドイツ軍に入隊、終戦間近に南フランスの捕虜収容
所に収容されます。
1947年、一連の試練に耐えきれず精神病院に入院、激情発作をともない
症状は悪化し、現在に至るまで入院生活を続けています。
現在はマリー・グギング精神病院の芸術家の家で暮らしています。
1950年代から絵画の制作を始め、その作風はミニマルであり禁欲的であ
ります。
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ガストン・トゥシェール
Gaston Teuscher(1903年-1986年)

1903年、スイスの農家に生まれます。
幼い頃から独立心の強い性格で、生涯、旅行三昧と多くの女性との束の
間の出会いに彩られた人生を送りました。
1974年、71歳のときから絵を描き始めます。
ワイングラスやコーヒーカップの底の染、アルミ箔や銀紙などをしわくちゃ
にして、そこに偶然できた不確定な形態を構図として利用。またヘビース
モーカーの彼はヤニを回収して絵具として再利用していました。
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ミシェル・ネジャー
Michel Nedjar(1947年-)

1947年、パリ近郊でアルジェリア出身の父と、親族の多くをナチスに殺さ
れた母親のユダヤ人夫婦のもとに生まれます。
1960年頃から強制収容所でのホロコーストを意識するようになります。
1970年からモロッコと欧州を旅し、さらにトルコ、イラン、アフガニスタン、
インド、メキシコを旅し、これらの国の文化から強い影響を受けました。
1975年からボロや切れ端など身の回りにあるもので、呪術的な雰囲気の
謎めいたな人形を作り始めます。
1980年代からは絵を描き始めています。

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