・ ロシア・アヴァンギャルド ロシア構成主義

-


-

1910年代初頭にロシアで誕生し1917年ロシア革命を契機にソビエト連邦誕生時を経て、大衆に広まった、キュビスム、未来派、構成主義を中心とした前衛芸術運動の総称です。その分野は建築、プロダクトデザイン、写真、映画、音楽、文学、グラフィックなどと多岐にわたり、社会的・政治的な問題と密接に繋がった芸術と言えます。

第一次大戦間において、次第にカジミール・マレーヴィチに代表されるシュプレマティスムならびにウラジーミル・タトリン等に代表されるロシア構成主義が台頭し、ロシア革命後は表現上の革新と政治革命により、プロパガンダ・アートが開花しました。

その後1930年代に吹き荒れたスターリニズムと社会主義リアリズムにより衰退し終息を迎えます。

-

リシツキー グラフィック・デザインのモダニズム展
ロトチェンコ

青春のロシア・アヴァンギャルド

-


-

ウラジーミル・タトリン
Vladimir Tatlin(1885年-1953年)

1885年、ウクライナ、ハリコフ生まれ。
1920年代ソビエト連邦のロシア・アヴァンギャルドおよびロシア構成主義の代表的な作家のひとりで、建築、彫刻、絵画、デザインなど多岐にわたって活躍し、彼の前衛的思想は、後世の建築家・芸術家に大きな影響を与えました。

-


-

アレクサンドル・ロトチェンコ
Aleksander Rodchenko(1891年-1956年)

1891年、サンクトペテルブルグ生まれ。
カザン美術学校で学び、1914年モスクワに移り、タトリンらとともに抽象的な絵画、立体を発表し、構成主義を積極的に推し進めます。
1921年に絵画を放棄した後、詩人マヤコフスキーと親交を結び、共同でポスターを制作し、グラフィックデザインに新風を吹き込み、また、舞台装置、工業デザインなども手掛けました。
1924年頃より写真の撮影を開始。ポートレートや風景写真を多数残し、彼の作品は、現在の美術家、デザイナー、建築家、写真家などにも影響を与えています。

-


-

エル・リシツキー
El Lissitzky(1890年-1941年)

1890年、スモレンスクの郊外生まれ。
1909年、ドイツのダルムシュタット工科大学に入学し建築の勉強を始めます。
1919年から1921年にかけて「プロウン」(新しいものの確立のプロジェクト)と題された、フォルムと構成の建築様式的な実験モデルを制作。
1923年にソビエト国家主導で「フォトモンタージュ研究所」を設立。
ロシア構成主義の一員であり、グラフィック・デザイン、ブック・デザイン、建築、写真など多数の作品を残しています。

-


-

ナウム・ガボ
Naum Gabo(1890年-1977年)

ロシア構成主義を初めに提唱した人物といわれています。
金属、ガラス、針金やプラスチックでつくられる、新しい彫刻の形を求めた作品を発表しています。
1923年にスターリニズムから逃れベルリン、ロンドン、パリ、アメリカへと移住。

-


-

カジミール・マレーヴィチ
Kasimir Malevich(1878年-1935年)

1878年、キエフ近郊に生まれます。
1910年頃に、キュビスムや未来派の強い影響を受けて派生した、色彩を多用しプリミティブな要素を持つ「立体=未来派(クボ・フトゥリズム)」と呼ばれる傾向の作品を制作。
その後の1910年代半ばに、無対象を主義とする抽象性を徹底した「シュプレマティスム(絶対主義)」を主張します。
シュプレマティズム絵画の制作に従事して以降、マレーヴィチはしばらく絵画から遠ざかり、建築の分野での考察を開始し、彫刻/オブジェを制作します。
やがてスターリニズムの嵐が吹き荒れる1930年代には、写実的な具象絵画に戻り、その一生を終えています。

-


-

ウラジーミル・シューホフ
Vladimir Shukhov(1853年-1939年)

1853年、ロシア、クルスク地方生まれ。
1871年に帝国モスクワ工業学校(現モスクワ工科大学)に入学。
その後、アゼルバイジャンのバクーにあった石油施設の設計に従事し、ロシア初の石油パイプラインの設計に参加。
汎ロシア博覧会の給水塔・パビリオン、キエフ駅のプラットフォーム、シャーボロフスカヤのラジオ塔など、シューホフ・タワーと総称される、鉄線を格子状に組んで双曲面建築構造の外観をもつ塔を創出し、ロシア・アヴァンギャルド建築に多大な影響を与えました。

-


-

ナターリア・ゴンチャローワ
Natalia Goncharova(1881年-1962年)

1881年、ロシア、トゥーラ近郊に生まれます。
モスクワ美術アカデミーに彫刻を学び、ロシア民芸のプリミティヴな側面に深く触発されて絵画を制作。
1911年にミュンヘンの前衛美術グループ「青騎士」に創設メンバーとして加入します。
革命前夜のロシア前衛芸術運動の主要な作家であり、未来派の指導者として活躍。
1939年にフランスに帰化し、1962年パリで亡くなります。

-


-

ステンベルグ兄弟
Vladimir Stenberg (1899年-1982年) and Georgii Stenberg (1900年-1933年)

モスクワ生まれ。
ロシア構成主義を代表する作家です。
数多くのグラフィックを制作しています。特に「戦艦ポチョムキン」「十月」などの映画ポスターは、ロシア・アヴァンギャルドを代表する傑作と言われています。

-


-

ミハイル・ラリオノフ
Mikhail Larionov(1881年-1964年)

1881年、現モルドヴァ共和国のティラスポリ生まれ。
1900年にナターリヤ・ゴンチャローワと出逢い、生涯の伴侶となります。
「ダイヤのジャック」(1909年-1911年)と「ロバの尻尾」1912年-1913年)といった急進的な芸術集団を結成。1911年、抽象芸術の一派たるレイヨニスムを提唱し、革命前のモスクワ前衛美術運動の中心的な作家でした。
1915年にパリに移住し、その後は夫人とともにディアギレフのロシア・バレエ団のための舞台装置を手掛けています。

-


-

コンスタンチン・メーリニコフ
Konstantin Melnikov(1890年-1974年)

1890年、モスクワ生まれ。
1924年レーニン廟、1925年パリ現代産業装飾芸術万国博覧会ソ連パビリオンを発表し、世界的にも注目を浴びるようになります。
1920年からは、モスクワ高等芸術技術工房で教鞭をとるようになります。
1933年、ル・コルビュジェ, ミース・ファン・デル・ローエらとともに第5回ミラノ・トリエンナーレの招待を受け参加。
1937年、スターリニズムの余波を受け、形式主義者として糾弾され隠棲同様の生活を余儀なくされ、その後1965年に名誉を回復します。
-